『会計の世界史』 田中靖浩 ③

もともと自分のために付けていた帳簿が、

株主という他人のための決算書へと進化しはじめたわけです。

 

鉄道マネーのカネの流れと、バランスシートをめぐるカネの流れはそっくりだから。

 

鉄道は東部から西部へと建設が進みました。

 

バランスシートでいえば、右側(東)で調達した資金を左側(西)で運用したわけです。

 

バランスシートを読むときは、イギリスの金がアメリカの鉄道へ、を右の調達から左の運用へと重ねてみてください。

もう道に迷わないと思います。

 

19世紀後半には、経営分析ブームが起こっています。

 

そんな、人が信用できない時代の名残が、

流動比率でよく言われる200%以上が望ましいという格言です。

この高すぎる数字は、たとえウソがまじっていても200%あれば大丈夫だろうという、

人を信用しない時代の名残のようです。

 

この時期、アメリカの富のうち相当量がインサイダー取引で蓄積されたことはまちがいありません。

 

裏情報をつかむ、ニセ情報で攪乱する、密造酒で儲ける・・・アル・カポネ顔負けの野心家ジョーは、

「儲けるのは簡単だ、取り締まる法律ができる前にそれをやればいい」と名言を吐いています。

 

ハリウッドにはバランスシートを理解できる奴が誰もない、だから魅力的なんだ。

 

もともとアメリカから渡ったイギリスからのピルグリム・ファーザーズは、

プロテスタントの禁欲・勤勉の精神のもとで「労働」を大切にする文化をもちます。

しかし、アメリカのプロテスタントであるWASPたちは労働にとどまらず、

株などの金融取引で「稼ぐ」ことも大好きになってしまったようです。

 

ジョン・メイナード・ケインズは従来の経済学とは異なる有効需要をもとにした新たな学説(マクロ経済学)を立ち上げます。

 

泥棒を捕まえるには、泥棒が一番なんだ。

 

その一つが商業銀行と投資銀行のあいだに一線を引くグラス・スティーガル法です。

破綻銀行の多くが預金を株式投資していた反省から、

預金と投資の間にファイアー・ウォールがもうけられました。

 

小悪党はルールの枠内でごまかしをはたらきます。

アクトは新たなルールをこしらえます。

そして本物の大悪党はルールを動かして人気者になってしまうのです。

 

公開企業の会計制度の根幹は次の3つです。

  1. 経営者はルールに基づいて正しく決算書を作成すること
  2. 正しく作成されたかどうかについては監査を受けること
  3. 決算書を投資家に対してディスクローズすること

 

そこで大恐慌後に成立した証券法・証券取引法は、将来、株主・債権者になる可能性がある人まで保護することにしました。

潜在投資家つまり見込み客まで大切にする姿勢をみせたわけです。

 

新規の見込み客でも安心してマーケットを作る-これが投資家保護の考え方です。

ここで投資家(Investor)とは、現時点の株式・債権者だけでなく、

潜在的株主・債権者も含むようになりました。

 

現在の資金提供者だけでなく、潜在的な資金提供者(株主・債権者)を含んで「広義の投資家」と定義したわけです。

潜在株主・債権者を含む「広義の投資家」を保護しようとするなら、

決算書はディスクローズ(情報公開)しなくてはなりません。

 

そう考えると、私たち日本人はPublic意識が希薄なのかもしれません。

それよりはるかに、Privateな村意識が強いのです。

 

インサイダー規制は、会社がパブリックだからダメなのです。

 

PRは王様の仕事、IRは社長の仕事

 

ひとつが蒸気機関車から自動車、航空機へと広がった乗り物の工業化です。

もうひとつが駅間の交信からはじまって無線、インターネットへ広がった情報化です。

 

この海運の要といえる港がリバプールでした。

リバプールは黒人奴隷をアメリカに運ぶ中継地であり、

またマンチェスターで製造された綿製品を各地に運ぶ出発点でもありました。

ここは長きにわたって海運・造船の要所であったゆえ、

ナチスドイツから真っ先に狙われたのです。

 

世界に先駆けて通信ネットワークを構築したことで、イギリスの懐には莫大な手数料が入るようになりました。

 

元々、IAS(International Accounting Standards)だったものが発展してIFRS(International Financial Reporting Standards)へと変わっています。

このどちらも日本語で「国際会計基準」と訳されるので日本人は気づきませんが、

以前の「A:Accounting=会計」から「R:Reporting=報告」へと言葉が変化していることがわかります。

「会計」から「報告」へ-これは決してネーミングだけの問題ではありません。

その裏側にはかなり大きな変化があります。

 

主人公は自分ではなく、情報を受け取る投資家になっていたのです。

 

つまり、500年の歴史の中で、

会計は「自分のため」から、株主・投資家といった「他人のため」に行われるよう変化したというわけです。

 

原価=いくらで買ったか?

時価=いくらで売れるのか?

 

会計の目的を、自分たちの利害調整に置くか、

投資家への情報提供に置くかによって、望ましいルールがちがってきます。

 

時価好きのアメリカ・イギリスに対し、ドイツと日本は歴史的に原価主義愛好が強い国です。

 

製造業では利益こそが重要であり、それを計算する損益計算書が重視されます。

これに対し金融業では利益より、時価評価されたバランスシートのほうが重視されます。

 

日本基準→USギャップ→IFRSの順に、時価主義愛好が強まっていきます。

 

それにしてもイギリスIFRSのフェア・バリュー(時価)好きには驚きを通り越して、感動すら覚えます。

 

EBITDAの登場は、M&Aの増加に伴うキャッシュへの回帰現象でもあったのです。